スクールプラスは「how to do(どのようにしてやるのか」ではなく、「why to do(なぜするのか)」を追求する教育を実践しています。そのためには、私たちが子どもたちを変えるのではなく、あくまでも子どもたちが変わるのだというスタンスに立ち、ありのままの子どもたちを受け入れる事が必要です。
様々な理由で、学校へ行けない子どもたちに「安心できる居場所」と「心の安定」、そして無理のない「基礎学力」を付け、中学校復帰を念頭に教育活動をおこなっています。
スクールプラスは、地に足のついた人、自分への自信が持てる人、納得して生きている人を、ふつうに育てるということをしています。だから、いろんな出口があっていいんです。すべての職業や生き方を、はっきりと肯定することが、子どもたちの進路につながっています。エリートになりたい人は、エリートになればいいし、みんな自分を生きるプロになって欲しいと思っています。
学校に通えない子たちを対象に自信回復と社会復帰、自立に向けての力をつけるためのフリースクール「スクールプラス」。SST(ソーシャル・スキル・トレーニング)の知識を持ったスタッフもいるので発達に課題がある子でも安心して通える居場所です。
子ども達や保護者、地域社会において、ひとつ言えることは「本当は何が欲しいのか?」「自分は一体どうしたいのか?」自分の奥底にある本音が、何かにつっかえて出てこないものもどかしさ。そんなココロの引っかかりをありのままに吐き出す時間と環境が、今いちばん必要なものかもしれません。
私たちは、生まれた時からずっと満たされたいという想いを持っています。
眠い、お腹がすいたと欲求をストレートに表現していた赤ちゃんの時代、高度なコミュニケーションができなかった子どもの時代、多くの人は自分が満たされることに対して、不器用ながらも素直に向き合っていたはずです。
しかし、ある時期を境に「幸せ」の形は急に画一化され、「塾に行き、いい大学に入り、大企業に入るのがいい人生」。また「ブランドの服を着ていればすごい人」という意識。それは自分で見つけた価値観ではなく、いつの間にか植えつけられてしまった「意識や価値観」だったのかもしれません。
これからは、何を食べ、何を見て、どこへ行き、何をどのように学ぶのか。一つひとつすべてを自分の明確な意思のもとに、自分らしく選択して、決断する力を、さまざまなアプローチで身につけていくことが必要です。
つまり生きていく上で必要な、もっと根っこの部分から始める教育。生きる原動力となる意志、きっかけ、動機を、自分の力で見つけて育てていくということです。
自分の個性を主張するということは、その裏側の責任もきちんと負っていくことです。つまり、責任がともなうからこそ、自分が主体的に選んでいるという手ごたえを感じることができます。
一人の人間として、生活面でも精神面にも自立していくことが、結局は「幸せ」を感じる一番の近道になるかもしれません。
みなさんも交差点に立ち止まって周りを見渡してください。同じ時間、同じ場所にいるのに、みんな違っています。「待っている人」「楽しんでいる人」「探している人」「落ち込んでいる人」「企んでいる人」「わかってる人」「見失っている人」「上手くやっている人」「ハマっている人」「ショゲてる人」「走っている人」。……そうです。みんな違っていていいんです。
家庭の中では、しつけという愛情の中で価値観が育てられます。そして認められ、受け入られ、安心することで意思が芽生えます。それは、例えるなら家庭という名の教室です。 -まるで父親のように、母親のように、子どものように、そこにいる一人ひとりへの注意を向けられて、本音を伝えあえる家族のような関係がつくれたのなら- 学校という場所は、教育現場は、変わるかもしれません。
教育の柱は、家庭を中心とした「家族」「当校」「地域」の三位一体にあります。そして、その家庭を作っているのはお父さんとお母さんです。もちろんどちらか一人の場合であっても「父性と母性」は、欠かせないキーワードです。これは単に父親と母親という意味ではなく、リーダーシップとフォロワーシップという位置づけでとらえています。子どもは厳格な父性によって規律や模範を知り、社会の厳しさや現実に触れ、自分の価値観をつくっていきます。それを「母性」という優しさが、認め、受け入れる。このプロセスを繰り替えすことによって、初めて自分というものが客観的に見えてくるようになり、自分なりのスタンダード(基準)が築かれていきます。
このように現実や厳しさを実感する機会がなければ、許され、認められ、乗り越える喜びを知ることもできません。
今の家庭に欠けているといわれているのが、父性としての「叱る」というプロセスだそうです。その過程には、あくまで「認める」ことを背景とするのが大切です。頭ごなしに何もかもを否定するのではなく、愛されている、認められている、と子どもが実感できる中で、きちんと叱ること。それは、叱られないことよりもより強い「愛しているよ」「認めているよ」のメッセージとなります。「愛」の反語は、「憎しみ」ではなく「無関心」です。
戦後、貧しかった時代の日本では、リッチになることがイコール、幸せになることでした。しかし、モノが増え、豊かになり、飢えることが無くなった今、リッチを目指すだけの人生は様々なひずみを生み、満たされていない思いを抱えている人が世の中にあふれています。
ですから、みんなで一つの目標を持つのではなく、一人ひとりが「こうありたい」という意志を持てる社会は、もうそこまで来ています。
スクールプラスでは、インプットよりもアウトプットに主眼をおいた教育を実践しています。子どもたちは、当スクールでの学びを終え、「さぁ社会でどう生きようか」と考え始めたときに、初めて真価を発揮するものです。ここで身につけた自信と決断力は、これからの子どもたちの大きな原動力となり、大切な財産になります。
これらは、実はとてもふつうのことです。「自分のしたいことをする」「自分の行動に責任を持つ」「大人がきちんとしつけをする」「社会がいろいろな個性を認める」。どれもみな、一つとして新しい言葉ではないにも関わらず、いま一番必要とされている「基本」「根っこ」のことです。なんとなく全体の価値観に流されてきた人たちではなく、意志を磨き上げてきた人たちが、自分の個性を武器に、自信マンマンで社会に飛び込んでいく。そのとき、閉塞したこの時代は終わりをつげ、真の「個の価値」が根付いていくのでしょう。いろんな個性がはじけだす瞬間を、ともに見つめていきたいと思います。
「スクールプラス」の母体であるNPO法人コミュニティ総合カウンセリング協会がカウンセリングによって、子どもたちの心のケアを図り、彼らが目標を持って社会へ飛び出していくきっかけづくりを応援しています。
入学後、新しい居場所や空間ができ安心を得ることで 少しずつ元気を取り戻してきますが、「何か」がきっかけで、あるいは「何もなく」ても、途中で休憩が必要になる生徒がいることも、わたしたちは経験的に学んでいます。そして休憩が必要になった時は、無理をせず一旦休みエネルギーを蓄え、また再開すればいいのです。
このエネルギーを蓄える期間は、「アウトリーチ支援 (心の相談)」や電子メールの交換、保護者との面談などを通じて、再び元気に踏み出す準備をしていきます。「でも学校に行ってない期間、学習レポートが進まない!どうしよう!」と不安になりますね。でも大丈夫です。いつも先生や教室にいてくれる学生フタッフがアウトリーチ支援の一環として、学習指導もいたします。
当校では不登校生を積極的に受け入れ、自信を回復し、目標を持ち、自立していくことを支援していきます。フタッフ一同日々様々な事例をもとに研修を重ね、また保護者の方がたと連携して、子どもたちを支えていくことで、地域社会への貢献にも努めていきます。
不登校を経験してきた生徒たちが、地域社会で新たなスタートを踏み出し、「本当に不登校だったの?」と疑うほど変化し楽しく前へ進んで行ってくれることを常に願っております。