中2の秋、息子は起立性低血圧という病名をいただいて不登校を認められました。
よくよく考えれば小学校の高学年頃から朝がなかなか上手に迎えがたいようでしたが、その頃の私は身体のことだなんて思い及ばず、気持ち(気合)の問題だと彼を責めて、彼が学校で失敗しないよいうに必要以上にあれこれ世話を焼いていたように思います。

不登校を認められた彼に、私のしたことはゆっくり休ませるということではなく、学校に行かない分、学校に行っている人以上の経験と体験をさせたいという気持ちの押し付けでした。

主治医からは「何もするな。何も言うな。」と言われてからは言葉には出さなかったかもしれませんが、そういう気持ちを常に持っていたので彼にはつらかったかもしれません。

そんな中、スクールプラスと出会い、本当に救われました。

息子は自分の体調でも通える居場所を見つけ、心身共に何とか折り合いをつけ通っています。

最近の私は、過去の後悔と未来の心配でずいぶん忙しく、今を見ることが出来なかったことに気付き、今日を楽しく過ごしています。

 高校に入学してから2週間、中学の友達がいなかったので友達をつくったものの、ぎこちない感じかして、少しずつ学校を休みだしました。5月1日に通学したのを最後に1学期が終わるまで全く行かなくなりました。このままでは留年が確定すると考え、夏休みの間に親と相談し、中学の友達がいる家から自転車で行ける学校に編入することを決めました。

 これで9月からまた無事に元の生活に戻れると思っていました。しかし、それでもなぜか、朝には行けず、文化祭に参加しただけで、再び最初の状態に戻ってしまいました。さすがに2回同じことが起こってしまったので、次は通信制にするべきだと思い、通信制高校を探し始めました。

 そんな中、母親がすすめてくれたのがこの学校でした。集団で学ぶこともなく、いつ来ても帰ってもよく、カウンセリングを受けられるところにひかれ、一度母親とここに行きました。先生は今までのことを最後まで聞いてくれて、私の好きなことに共感してくれていい先生だなーと思いました。レポートは二回目からのテストで百点を取らないと単位がもらえないので大変だけど、何とかできそうな気がし、肝心の友達作りは、先生が助けてくれると聞いて安心しました。

 そして、12月1日にここに入学しました。最初は、本当に上手く友達ができるのかとドキドキしていましたが、間に先生が入り、トランプをしようともちかけてくれて話しやすくなり、そのこと友達になれました。時には学校に行けなかった日もありましたが、最近少しましになり、友達も少しずつできて、今ではすっかり慣れました。

 高1の単位も取って、4月から無事に高2に進級できます。これは、周りの友達や先生方のサポートのおかげだと思っています。
本当にこの学校に出会えて良かったです。

私がスクールプラス高等部に転校した理由は、前の高校で人間関係が上手く行かなくなり、心身病になったからです。前にいた高校は塾に通いつめて受かった高校だったので、通信制高校に転校したいと言ったときは両親に猛反対されました。私自身すごく悩んだけど、今考えるとこの学校に転校してすごく良かったなと思います。

 転校する前の私は、とにかく人に合わせてばかりしていました。他の子と違う意見を言うと、仲間外れにされてクラスで浮いてしまうということが頭の中にあり、周りの目を気にしながら毎日生活していました。なので、転校が決まって初めて通った日は不安と緊張でいっぱいでした。でも、先生や友達、ボランティアの方々はとても優しくて、通っていくうちに自分の思ったことを言えるようになりました。みんなが自分のことを受け入れてくれるので、気を使わずに、ありのままの自分でいられます。卒業までの2年間で、もっと成長できるように頑張ります。

私は、10代前半の頃「20歳になる頃には就職している」と思っていました。でも実際20歳になった時、私は中卒のフリーターでした。10代後半の頃は能天気に、就職は自分とは関係ないと思っていましたが、自分が20歳になった時に「フリーター」という言葉が凄く悪いものに思えました。本来ならば直ぐにでも就活をしたいところですが今の世の中、最低学歴が《高卒》です。それなのに自分は《高卒》ですらありませんでした。そんな中、自分が就職するのはとても難しいことだと思い通信制の高校に入学しました。

 初めは久々の勉強に少し楽しくもあり、新しいことに挑戦する事でワクワクする部分もありましが、実際に入学すると楽しいことだけではありません。半年もすれば勉強にも飽きますし、ワクワク感なんて全くありませんでした。「3年間の我慢さえすれば、自分の為になる」と理解していたので3年間頑張れたのだと思います。

3年間の間、月に一度登校しレポートの提出。レポートも私は学校でしかやらなかったので、一か月分まとめて一日で終わらすのは大変でした。家に持ち帰ってやればいいのですが、持って帰っても自宅では一切しませんでした。仕事をしながら休日に月に一度とはいえ登校することは億劫でもありましたし、何度か辞めようかなと思うこともありました。
でも今、辞めないでいるのは辞めるほどの理由もなかった事と、《高卒》が自分にとって今後必要になるだろうと思うからです。

 元々の目標であった就職は2年生の時に実現しましたし、私にとって高校に通う理由が一時は無くなりました。それでも3年生になっても通っている理由は、「もしかしたら今後、転職するかもしれない」「もしかしたら何かやりたい事が出来て、資格が必要になるかもしれない」そんな時に、条件が《高卒》だったら今辞めてしまえば又、時間がかかるからです。「転職の時に《高卒》が必要で、取得し終わった時にもう募集していなかったら」そう思えば今は大変でも、今だからきちんと卒業しておくべきだと思いました。

やりたい事が《高卒》が無いだけで出来ないなんて、私はもう嫌です。だから私は通信高校に3年間通えたのだと思います。

私は、高校2年生の6月に公立高校からスクールプラス高等部に転学しました。

私は以前から人見知りで、周りの人と打ち解けるのに時間がかかり、大人に対しても苦手意識がありました。そして学校へ行けなくなったのは、高校2年生のクラス替えで新しいクラスに馴染めなかったことが理由です。

そんな私をスクールプラスの先生やボランティアさん達は、月1回あるイベントや講座、昼食時などで孤立しないように、みんなの輪に入れてくれたり、みんなと話せるようにしてくれたりしました。そしてボランティアさん達と話したりする事で徐々に大人に対する苦手意識も相談ができるほど少なくなりました。そのおかげで、無事に卒業して、卒業後も付き合いが続く友達もできました。

今は、大学に進学して休み時間に友達と話をしたり、専門的な勉強をする時間がとても楽しかったりと充実した時間を過ごしています。

私は、中学高校と人間関係で辛い思いをすることが多く、人と関わることは怖いことだと思い込んでいました。そんな私が、今では人と関わることが大好きだと思えるようになり、本来の自分を取り戻すことができたのです。

全日制高校からスクールプラス高等部へ転入してきた当時は、自分を出すということが怖くて、ずっと心を閉ざしているような状態でした。しかし、この学校の先生たちは、真剣に私という人間と向き合ってくれました。例えば、授業に取り組んでいる生徒たちの輪に、私が入っていけるように、初めは先生が一緒にその空間に入ってくれたり、教室にいる生徒たちに話題を振って、自然と会話ができるような環境に促してくれたりしました。

また、この学校にいる生徒たちは、人の痛みや喜び、色んなものを豊かに感じ取れる人たちばかりなので、皆がそれぞれのことを受け入れ、支え合っています。全日制の学校に比べると少人数ではありますが、だからこそ学校にアットホームな雰囲気があったり、先生と生徒の距離感が近いのだと思います。

このような環境で、周りの助けを受けながら、挑戦することを繰り返していくうちに、人と関わることの大切さや楽しさに気づき、どんどんと自分の意志で積極的に行動していけるようになりました。

高校3年生の頃には、転入してきたころとは見違えるほど、生き生きとした自分がいました。先生方からも「1年生の頃とは全然顔つきが違うね!」とたくさん言われたことを覚えています。それは自分がスクールプラス高等部で生活する中で、色んなことに挑戦し、勇気を出して一歩踏み出すことを積み重ねてきたからだと実感しました。

そしてその一歩が積み重なったことで、無限大の自分の可能性と出会うことができました。今も人との関わりを大切にしながら、日々成長し続けたいという想いを胸に、様々なことに挑戦して頑張っています!

 私は、中学生の頃から引きこもりになり、16歳の頃から、少しずつ外出するようになりました。そして、友だちが大学生や社会人になっていき、「このままでは嫌だな~」と自分の将来について考えるようになり、20歳のとき通信制高校に通う決意をしました。そして、家から一番近く、勉強をするだけでなく、カウンセリングやSSTもしてもらえる、この通信制高校に出会い、「ここなら通えるかも…」と思い、通うことを決めました。先生方も生徒の方も温かく迎え入れてくれ、さらに同世代のボランティアさんがいてくれたことがすごく嬉しく励みになりました。

 初めの頃は、レポート課題が中学生レベルの復習からだったので、いきなり勉強に集中しすぎず、悩み相談や生活改善、自分のペースを見つけ学校に通えるようになることを重視して過ごしました。そして、ある程度学校生活にも慣れ、勉強のレベルも上がった頃から、勉強に本腰を入れるようになりました。勉強方法としては、レポート課題と教科書が連動していたので、まず課題の範囲の教科書を読み、わからないところがあればさらに読み込む。それでもわからなければ人に聞き、声に出してみたり、繰り返し書いたりして、理解し覚えるという感じでした。

私の場合、20歳であったこと、勉強をすることが苦手ではなかったということもあり、学校の課題提出と高卒認定試験で1科目合格をすれば一年で高卒認定資格を取得できるというカリキュラムで組んでもらっていましたが、入学当時の私は、高認合格のレベルに追いつけるのか、一年で社会に出ていけるのかと不安で三年間通って高校卒業にしたいと考えていました。

しかし、勉強を進め、人とかかわっていくうちに、将来やりたいことが見えるようになり、進学について悩むようになりました。そして、まだ先でいいと断っていた高認試験も、受けるだけ受けてみたら?という先生の提案で受けてみることにしました。しかも1科目合格で良いところ、不安だった私は保険的な意味で2科目受験しました。

 高認試験の勉強方法は、学校のレポート課題である程度勉強できていたのと、試験まであまり時間がなかったので、過去問を重点的に解きました。わからないところやポイントなど、先生やボランティアの方に教えてもらいつつ、問題を解くうちに出題傾向もわかり、採点した点数も安定して合格ラインに乗るようになりました。

試験当日、受験などの経験が無かった私は周りの空気に少し緊張しましたが、科目ごとの教室移動や休憩時間もあり、2科目目の試験からは、普段の勉強と同じようにできました。
そして、無事に合格することができ、さらにそのままの勢いで行きたかった大学への入学も決まりました。とてもワクワクしています。

 私のように、不登校・引きこもりになった人や、将来のことを迷ったまま気付けば時間が過ぎていたという人でも、何かしたいことや、なりたい職業などが見つかった時に、人生を変えるための、ひとつのポイントになる素敵なカリキュラムだなと思っています。

私は、この高校受験を通して様々なことを学びました。
特に大きな二つを挙げると、一つは逃げずに立ち向かうことの大切さです。私は、学校を辞め高校からまたやり直すためスクールプラスに来ました。初めは何も分からないまま勉強を始めました。どこの高校に行きたいのかも、今後何をしたいのかも見えていませんでした。だからとりあえず、その時の私より偏差値が20近く上の高校を第一志望校に置いて勉強しました。

なぜ、そんな無茶なことをしたかというと、それくらいの学校を目標に置いていたら、もし万が一その学校が受からなくてもその学校より下の学校には入れるだろうと思ったからです。

そして、これから頑張って勉強したら、そんな学校にも受かるかもしれないという自信も少しあったからです。でもやはり高い目標を挙げただけあって、とてもつらく大変な時期もありました。いつまでたっても偏差値が上がらず、それがまたストレスに変わっていきました。そのストレスを発散するため遊びに熱中し、勉強をしなくなりました。そんな状態からまた勉強をしようと思うようになったのには、今自分がしていることは、ただ単に嫌なことから逃げているだけだと分かったからです。

そして、これからもずっとこうして逃げ続けるのは嫌だなと思った私は、また勉強する生活に戻りました。それからは模試でも、今までよりかは断然良い結果を残せるようになりました。それがまた嬉しくて、勉強が楽しいと思えるようになりました。
受験前には焦りやプレッシャーが重くのしかかってきましたが、今まで積み重ねてきたことを思いだし頑張りました。私は何よりもまず逃げないことが、自分を成長させるために欠かせない重要なことだと学びました。

そしてもう一つは、周りのサポートや支えの有難さです。中学一年生レベルで止まっていた私の頭が、千里国際や立命館、その他の高校に合格できるようになったのには、間違えなくスクールプラスの先生方の助けがあったからだと思います。分からないところは分かるようになるまで教えて貰い、私のペースに合わせて授業を進めていただきました。

そして他にも、受験の面接のために、自分のことを整理するお手伝いもして貰いました。自分自身を整理することで、自分が「何をこれからしたいのか」や「どんな人になりたいか」など色々なことが見えてきました。このことは私を成長させる大きなきっかけになったと思います。

さらに、この他にも家族の支えがありました。母は、毎日スクールプラスまで送り迎えをしてくれたり、志望校をどこにするか悩んでいた時も、たくさんの高校の資料を取り寄せたりしてくれ

ました。また、父は家で問題を出してくれたり、分からないところを教えてくれたりしました。そして兄は、私が晩御飯の時にリビングで英会話のラジオを聴くので見たいテレビ番組があっても我慢してくれたりと色々なことをしてくれました。私はこれらの助けがなかったら、ここまで頑張れずにいたと思います。だから私は、これからも周りの支えによって成長できていることに感謝しながら、努力を忘れず高校でも頑張っていきたいです。

娘が中学二年の二学期直前に「私、学校やめる」と言いだした時、私の脳裏をよぎったのは「ごめんね-。あなた辛かったね-」でした。中学受験をして行かせた学校でしたが、私自身、他の雑事が忙しすぎて、その学校が娘に合っているのかという一番大切なところを見極めていませんでした。案の定、娘とは全く合わず、娘の個性を大事にしたいという私の考えとも合わず、いつまでもつかなぁという思いで通わせていました。

 ですから、娘からその申し出があった時「じゃあ、辞めてどうする?」と尋ねたところ「公立中学には行かずに勉強だけして、高校からやり直したい。」という答えが返ってきたので、私はあちこちのフリースクールを訪ね歩き、出会ったのが「スクールプラス」でした。

 ちょうどその年に開講したばかりで、勉強に力をいれてて、カウンセラーの先生がいてはるという事で、私は心から安心しました。ただ、同じ年頃の友達はいてないようで、そこは気がかりだったのですが、娘に聞くと「友達は今はいらない。勉強だけしたい。」と言い、一緒に見学に行って、先生方とお話したら「ここにする。」と申しましたので、お預けすることにしました。

 最初は大人に対する不信感で凝り固まっていた娘でしたが、先生方の暖かいご指導のおかげで、気持ちも安定し、成績も少しずつ上向いてきました。

 中学3年の秋になり、最終的な志望校を選ぶ段になって、一度も見学すら行ったこともない学校を娘は志望しました。私は、家から近いその学校が常に頭の中にあったのですが、本人は「近すぎて嫌」などと申しますし、全く情報収集すらしていませんでしたが、漠然とこの学校なら、娘の素のままで通える学校という認識があったので、それからその学校を目指して、先生方にもご無理をお願いしながら、娘も一生懸命努力致しました。

 その学校に行くには、娘自身、今までの自分の行き方や考え方全てを総括する必要がありました。そこの求めている生徒像は、常に「自分はどう考えるのか。」という事を考えられ、実践できる生徒だったからです。

 そして、12月頃から娘が劇的に変わりだしました。今まで、大きな声で笑ったり、冗談を言ったり・・・。何か憑き物が落ちたかのような娘になりました。私は嬉しかった! きっと自分を見つめ返す作業をしていく上で、娘なりの気付きやふっきれたものがあったのでしょう。私は、その穏やかな娘に戻ってくれただけで、もう満足でした。その学校に合格できなかったとしても、私は、娘が自分らしさを取り戻し、自分の進みたい道が見えてきただけで感謝でした。そして、受験。結果は「合格」どれほど嬉しかったか・・・。

 娘が二年弱、スクールプラスでお世話になって、本当に心から感謝しています。ここに来なければ、今の娘はなかったと私は断言できます。本当にありがとうございました。

学校に行けない・動けないという状況や行動は、決して突然始まったものではありません。それらには必ず意味がありますし、誰が悪いわけでもありません。子どもを否定をするばかりではなく、立ち止まって子どもの心を感じて欲しいと思います。必ず脱出する日が来ますので、子どもを信じてあげて下さい。

そして、決して新しい環境に変えれば、もう大丈夫と思わないでください。スクールプラスでは、保護者と連携し協働でサポートすることで、行きつ戻りつしながらでも、ゆっくりと、でも確実に、自ら行動し、趣味の資格を取ったり、高校での単位も取得し、自信を取り戻していきます。

さらに保護者のサポートとして「親子のココロ教室」を開催しております。ここでは、保護者が抱えている不安を話し、自分の発言や行動したことを確認することで、次の一歩につながるようにアドバイスをしております。